当時、交流サイトと言ったら、「掲示板」と「チャット」が主流だったと思う。
両方ともカテゴリ分けされて趣向を同じくするものが自由にやり取りできる場だったが、高い確率で男女の出会いに利用されていたことは間違いないだろう。
僕は、掲示板にはプロフィールを書いて女性からの連絡を待つのみ、チャットは直接話しかけていって、会えそうな子を物色していた。
チャットでは、自分はログインして待ち構えていて、あとからログインして来た直後の子を狙う。
まだ誰とも会話を始めていないからだ。
新規のログインがあると、すかさず声を掛ける。
あらかじめテキストエディタに第一声を書いておいて、そこからチャット画面にコピーペーストする。
恐らく多くの男性が同じことを考えているので、女の子からするとログインした直後に何人もの男性からの第一声が次々と表示されることになる。
僕は凝った表現を避けて、単に次の様に挨拶を送った。
- 「こんばんは」
1分ほどの沈黙の後に返事があった。
- 『こんばんは』
- 「お返事ありがとう」
- 「たくさん声かけられたでしょう?」
- 『ええ』
- 「なぜ僕を選んでくれたのですか?」
- 『一番早かったから』
“ログイン直後即効アタック作戦”がうまく行ったようだ。
まずは、基本的なプロフィールを聞き出し、話の取っ掛かりを探る。
- 「どのヘンにお住まいなんですか?」
- 『埼玉です』
- 「僕は神奈川で勤めは都内ですね。」
- 『私もです』
- 「聞いちゃいますがおいくつ?」
- 『33』
- 「僕は37で既婚です。」
- 『私は独身』
自分は当時34歳だったが、相手は多少若めに言っている可能性が高いと思うので、それを見越して実際の歳よりも少し上に言ってみた。
自分の既婚は隠さずに最初から伝えるようにしている。
あとでわかって一切を拒絶されると、またゼロからやり直しになって非効率であるし、そこを隠して付き合いを進めることは自分のイメージには合わない。
- 「このチャットは良く使うの?」
- 『たまに』
- 「最近何か悪いことがあった?」
- 『なぜそう思うの?』
- 「たまにチャットを使うと言うことは、普段から出会いを求めているわけではないのでしょう。」
- 「何かヤなことがあって、彼氏にも言いづらいことがあったりしたんじゃないの?」
- 『・・・』
- 「んで、気晴らしにチャットに来てみたと。」
- 『まぁそんなところ』
- 「じゃ、差し支えない範囲でぶちまけてみて。」
- 「僕ら面識も利害関係もないし。」
- 『職場ですごくヤなことがあって・・』
- 「人間関係?」
- 『えぇ』
- 「男女問題かな?」
- 『・・・』
沈黙すると言うことは、当たらずとも遠からずなのだろう。
いきなり催眠の話題をぶつけてみる。
- 「じゃぁ、そのイヤなことをひとまず忘れたいよね。」
- 『えぇまぁ』
- 「唐突だけど、催眠術による健忘って知ってる?」
- 『え?催眠??』
- 「たまーにTVとかでやってるでしょ?僕できるんだよ。」
- 『催眠を?』
- 「そう、もちろん本職じゃないけどね。」
- 『ヤなこと忘れられるの?』
- 「うん、永遠に忘れるわけじゃないけど。」
- 『普段は何してる人?』
- 「企業の社内IT担当だよ、貴女は?」
- 『ちょっと似てる、ネットワークの講師』
女性でネットワークの講師とはめずらしい。
日常的に講習をやっているような会社は、僕が知る限りは2社しか思いつかなかった。
当時の僕は、自社内のサーバ管理を行っていて、IT業界については多少知識があったので、ヤマを張って一方の会社に決め打ちしてみることにした。
- 「貴女の会社は(実在の会社名)で、(実在の製品名)を専門に教えてる人かな。」
- 『貴方だれ?!』
- 「お話したとおりの社内SEだよ。」
- 『会社名は?』
- 「たった10人しかいない会社だよ?御社のような大企業じゃない。」
ヤマカンが見事に当たったようだ。
誰か自分の知り合いが他人のフリをして自分に近づいてきたことを懸念しているようだが、実際はさっきチャットで話し始めた単なる赤の他人で、たまたまヤマカンが当たっただけだ。
- 「で、どうする?健忘催眠試してみる?」
- 『どうしたら良いの?』
- 「まぁ実際に会って、貴女に催眠を掛けて、健忘暗示を入れる。」
- 『どこでやるの?』
- 「周りを気にせず静かな場所といったらラブホだね。」
- 『やめとく』
ストレートに行ってみたが、性急過ぎたか失敗してしまった。
仕方なくハードルを下げることにする。
- 「じゃファミレスにしとく?一人が不安なら、友達でも連れて来たら良いよ。」
- 『ファミレスなんかでできるの?』
- 「まぁ、周りの目があるので軽い内容にはなるけど。」
待ち合わせの場所や日時、お互いの目印を交換してチャットを終えた。
後日、待ち合わせのファミレスに少し早めに行って、なるべく静かそうな席を確保して待っていると、ほぼ時間通りに、1人が胸に目印のアクセサリを付けた女性2人連れが入ってきた。
彼女らは店内を見渡し、僕にめぼしをつけたと同時に僕も軽く手を上げて合図した。
- 『菅野さん?』
- 「ええ、どうぞ座っていただいて、まずはオーダですね。」
飲み物を注文して、2人とそれぞれ軽く挨拶して、飲み物が運ばれてきてから本題に入った。
- 「催眠なんて怪しい話に良くお越しいただきましたね。」
- 『何で私の会社や仕事がわかったのですか?』
- 『図星だったので、正直言って動揺しました。』
- 「あぁ、種明かしをすると、占い師のテクニックですよ。」
- 『えっ?』
- 「僕も一応IT業界なので、貴女の業界の知識が多少はあります。」
- 「ネットワークの講師なんて言ったら、2社しか思い浮かびませんでした。」
- 「で、思い切ってそのうちの1社をあてずっぽうで言い切ったのです。」
- 「それがたまたま的中して、貴女がこうして会いに来てくれたということです。」
- 『そうでしたか。。』
- 「業界の知識人がそんなことで動揺してはいけませんね。(笑)」
彼女は顛末を聞いて安心した表情を見せた。
その後、彼女の悩みを聞いてみると、職場恋愛の三角関係だった。
単なる健忘では効果が望めず、直接関係を改善するような暗示は困難だし、ホテルに連れ込める状況でもないので、ひとまずこの場を収める暗示を掛けて、次のチャンスを待つことにした。
- 「お二人とも軽く目を閉じて、僕の言葉の通りにイメージしてみてください。」
- 「ゆっくり深く呼吸してみてください。」
- 「息を吐くと同時に身体の力が抜けて行きます。」
- 「ほら、すぅーっと。。」
二人の呼吸の様子を見ながら、吐く時に合わせて暗示を入れる。
脱力して身体が傾くくらいになったら、一旦覚醒させる。
- 「さぁ、3つ数えると、身体に力が戻って普通の世界に戻ってきます。」
- 「1、2、3、はい目が覚めます。」
- 「いかがでしたか?」
感想を聞くと、友人の方が先に口を開いた。
- 《力が抜けていくのが良くわかって、気持ち良かったです。》
- 『私もホントに力が抜けました。』
次回につなげることを言って、深追いせずに諦めることにした。
- 「催眠は、被験性と言って掛かりやすさに個人差があります。」
- 「お二人とも被験性が高くて、催眠暗示の効果が見込めそうですね。」
- 「これより深い催眠は、人目のない静かなところで行う必要があります。」
- 「ご興味あるようでしたら、またご連絡ください。」
名刺を渡してこの日は別れた。
(続く)
コメント
コメントは停止中です。